Electrical March

2013.03.11 Monday

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日付が3月11日に変わると、やはり色々思うことがあります。
上記の作品は2010年に描かれたもので、タイトルは「humanature」といいます。
「human」と「nature」を掛け合わせた造語です。(マイケルジャクソンの「human nature」とは関係ありません。)
このタイトルが示す通り、この頃から人と自然というものの関わりに興味があって作品を描いていました。

翌年の2011年、誰もが知っているように、あの東日本大震災が起きました。
そして福島での原発事故。
あの津波をテレビで見て、あの事故を見て、僕の描く「humanature」は、なんて薄っぺらなんだと痛感しました。
あの日見たテレビの中には「human」と「nature」がこれ以上ないくらいの存在感でいたのです。
テレビの中でさえ、です。
そしてしばらくは作品を作ることができませんでした。

山並みに送電線、という構図は、現在開催中の個展でも新作として展示しています。
3.11を経てもなお、むしろ経てこそ、やはり人と自然というモチーフを描きたいと思うようになりました。
僕が何を描こうと、何が復興するわけでもないですし、震災からの復興と僕の作品は直接は関係ありませんが。
しかし、少しだけ思いを込めるとするならば、この送電線のシリーズの作品名は、「Electrical March」としました。
「電気の行進」のようなニュアンスです。そしてもうひとつ、「March」には3月という意味も込められています。
あの3月、我々は「電気」についての問題を今までになく考えさせれましたし、これからも考えていく必要があります。
この作品の中では「Yes」とも「No」とも言っておりません。ただ、「電気」と「3月」というキーワードから考える何かはあるのではないかと思っています。送電線は一体何と何をつないでいるのか、というように。

長いものには巻かれろ、デカいもにのは飲まれろ

2013.03.10 Sunday

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ブログ...。今年初...。
あけまし...て、、いやもういいですね。

先日Facebookの方に、奈良の大神神社のデカい鳥居の写真をアップして、友人からコメントをいただいたりしつつ、ふと思い出したのがこの牛久の大仏。
この写真はずいぶん前に撮ったもので、クルマも当時は赤かった。。

東京に行ったついでに、水戸芸術館に行って、さらについでに牛久に寄ったという感じだったと思います。
関西から行くと、「ついで」って思うのですが、けっこうそれぞれが遠かったような...。
それはさておき、なんかデカいものって妙な魅力がありますね。
なんか日常風景の中に突如、ドーンって現れる感じがすごい印象的です。
その迫力に飲まれてしまいます。
このデカさっていうのは、きっと人間の文化の中で重要な要素なのかもしれません。
力の誇示というか、技術の証明というか。
スカイツリーなんかもまさにそうです。
どうでもいいようなことなんですが、なんか歴史を見てもそんな気がします。

そして芸術作品においても「サイズ」っていうのは非常に重要で、作品には「必要なサイズ」というのがあると思います。
まあ、デカければ良いというものではもちろんないのですが、やはりデカいものは強い。単純に強い。
そういえば僕の作品はあまり大きくありません。最近ではせいぜい100号(長辺が160センチくらい)です。
なので、余計にデカいものに憧れるのかもしれません。

ちなみに次の個展(大阪)に向けては20号以下の小品がメインになります。
なんか、ドーンってデカいの描きたいなー。きっと描くと大変で嫌になるんやろうけど。
市美でのLA VOZとか、もう少しドーンと行こうかな。